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気田IMG1z

写真は、気多森林鉄道と言って、春野町から気田川を遡って、水窪町の山奥まで続いていた森林鉄道です。
今年の初めころ、‘レイル’という雑誌で小特集され、その表紙を飾りました(表紙写真、勝手に引用させて頂きましたm(__)m)。
険しい渓谷を、丸太満載の貨車を引いて高い橋を渡る機関車。
結構豪快な写真ですね。

北遠の旅続き。

前回の日記でも森林鉄道について少し触れましたが。
今回の北遠の旅。
北に向かうルートはこの気多森林鉄道が敷かれていた気田川沿いを遡行し、上記雑誌記事を参考に、鉄道の痕跡を探しながら北上することにしました。
まあ、痕跡探索とは言っても、現地は大変な奥地。
山に分け入っての探索はせず、車窓から確認できる範囲に留めることにしました。
でないと、本日の目的地には到底到達しないという時間的制約もありましたのでね。

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気田地区の中心部を出発したgerakumaチーム。
まず訪問したのは、出発してすぐにある篠原という地区。
ここには当時大規模な貯木場があり、鉄道の下流側の終点でもありました。

写真はその貯木場のあった敷地の端、川岸にある橋台跡。
場所はこちら

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ちなみに川の対岸はこんな感じ。
既に護岸工事されたのか、痕跡はあるようなないような。
不思議なのは、貯木場が鉄道の終点なはずなのに、ここから先に軌道が続いていたのでしょうか。
この先は気田の街の中心部になりますので、街中を軌道が走っていたのでしょうか。
そのあたりはなんともわかりません。

では、こちらのリンク先をご覧ください→クリック!
現役当時の篠原貯木場の写真です。
広大な敷地に丸太がいっぱい。
それを囲むように、軌道が敷かれているようです。

ところで、上記リンク先写真の左下、篠原貯木場とかかれたあたりを見てみて下さい。

気田林鉄2z

ここです。
ちょっとラベルに隠れていて残念なのですが、どうやらここにあるのが2枚上の写真の、橋台と思われます。
すなわち写真の撮られた昭和30年時点ですでに今と同様、痕跡状態になっているわけです。
最初に記したレイルという雑誌にも、これが軌道の痕跡であると記されているので、もし本当に軌道の跡、橋台の跡だとすると、現役だったのはかなり昔で、そのときは気田の街中まで延びていた可能性があります。

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貯木場の跡地、敷地自体は、現在はほとんどが写真のように太陽光発電の設備が並び、真ん中付近には立派な老人ホームが立っています。
そして敷地の外れから、かつての軌道敷きと思われる、小道が延びていました。

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次のスポットにやってきました。
探索開始早々にして、気多林鉄最大の遺構にやってきました。
仙郷橋です。

現役当時の写真はこちら→クリック!
そして場所はこちらです
すぐ下流側にある車道橋上から撮影しています。

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対岸から、橋の袂に下りる小道がありましたので行ってました。
橋の袂から上流側を見て。

軌道敷きが、川沿いに伸びているのがわかります。
ですが藪が深いようなので、探索はパス。

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そして振り返って橋上を見て。
廃止後も使われていたのでしょうか。
レールや枕木などはありませんが、通行可能なように、整備されていた感があります。
軽トラぐらいなら問題なく渡れそうです。

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橋の柱には、なにかしら名板が嵌められていたのでしょうが、どうやら外れているような感じです。

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橋の手すりはレール製。
現役当時のままでしょうかね。

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その先は、国道362に寄り添うように曲がり、さきほど渡った車道橋の下をくぐるります。

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車道橋の上から下流側を見ると、軌道敷きが、国道の脇を寄り添うように、篠原貯木場方面に続いているのがわかります。
国道や車道橋が整備されたのは、おそらく廃線になったずっと後でしょうから、なぜこのような形で現在も残っているのか分かりません。
廃線後、道路として整備され、しばらく使用していた時期があったのかもしれないですね。

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すこし移動してこちらにやってきました。
さきほど川沿いの森の中に、軌道敷きが消えていった先です。

車道として整備されているようでしたので、どこまでいけるか入っていってみると。
しばし進んだ先で、キャンプ場らしき私有地になっていましたので、引き返してきました。

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さらに進んでこちらです

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小石間トンネル。
気多森林鉄道で使われていたトンネルを拡張して、現在は車が通れるようにしたもの。
しかし、それでも車線が狭いため、丁度中間付近では、離合用に一部拡張して使用しています。

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小石間トンネルを出た軌道跡は、気田川の左岸を進みます。
そして中部電力豊岡発電所の手前で、対岸に渡ります。
場所はこちら

ここにこの林鉄一大きな橋、豊岡大橋がかかっていました。
今は、対岸に橋台一基が残るのみです。

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同じ位置から、軌道跡を振り返って。
県道389の一段下を走る軌道敷き。
恐らく、ガードレールの切れたあたりからカーブして、対岸に向かっていたのだと思われます。

ここから先、県道を走りながら対岸に軌道の痕跡を確認しながら行きましたが、それらしい平場などは肉眼では見れませんでした。

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つぎに軌道跡が見られたのはここ

森山バンガローというキャンプ場の上にかかる橋を渡ると、丁度軌道跡が左右に横切るところに出ます。
その位置から、写真は下流方面。

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そして上流方面。
軌道跡の一部は農作業用に利用されているようです。

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つづいてはこちら

県道が橋を渡って、右岸側に移ったところで、軌道跡と合流します。
ここから先は、しばし県道が、軌道跡と重なります。

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勝坂という集落にやってきました。

ここは伝統芸能として神楽が有名だそうです。
県道脇にあったこのオブジェも、神楽をモチーフとしたものでしょう。

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おしりがキュート!w
台座は集落の対岸に渡る橋のアンカーになってました。

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それで肝心の軌道跡ですが。
こちらは道路脇の欄干の手すりに使用されていたレール。

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そして半鐘?でしょうか。
そのアングルにレールが使用されていました。

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勝坂から先は、川幅も細く、深くなり、より渓谷度がましていきます。

写真は途中にあった砦跡とのこと。
こんな山奥に・・・・と思える場所にありました。

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明神峡付近に到着。
県道の頭上を、ゴウゴウと流れ落ちる水にびっくりです。

もしかしたら、ここが骨原セット・・と呼ばれる場所かもしれないです→クリック!

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谷がますます深く、険しくなってきました。
明神峡は、紅葉の景勝地とのこと。
秋に是非来てみたいですね。
でも、三島からはかなり遠いので、日帰りでは強行軍すぎるかもです。
気田川沿いにいくつかある、キャンプ場でゆったりするのもいいですね。

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さて、とうとうやってきました。
ここがどこか!?。
県道が、左岸側に渡り返すところ

答えは、この記事の一番最初の写真。
雑誌の表紙を飾った写真の場所なのです。
オリジナルの写真はこちらを参照ください→クリック!

ほぼ同じ構図で撮影。
・・・少しズレテいる?

いやいや合っています。
なぜなら橋の上に立つと・・・

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上流側に、橋へとアプローチする路盤跡が見えます。
そして下を覗けば、

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橋桁の台座部分が。

県道の橋の位置とは少しずれているようです。
台座はだいぶ短くされたようです。

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そして対岸側。
どうもこちらは県道の橋がかぶっているようで、林鉄の痕跡はないか、あるいは林鉄の構造物を抱き込んで建てられているのかもしれません。
それにしても、前日まで降った台風の影響で、川が濁流のようになっていますね。

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県道はその先で3つのトンネルをくぐります。
どちらも恐らく林鉄のトンネルを利用したものだと思います。

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トンネルを出て断崖の下を進みます。

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そして、県道が右岸側に渡るこの場所で、軌道跡は県道を離れ、森の中に入っていきます。

面白いのは、グーグルマップには、この先、軌道跡がそこそこの道として残っているかのように描かれていますが。
実際には、かなりハードな道らしいです(ネットで探すと、歩き通した方の記事を見つけることができます(^-^b)

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軌道跡と離れた県道は、門桁という集落に入ります。
ひとつ前の集落、勝坂でも思いましたが、失礼ながらこんな奥地で暮らしている人がいるんだなあ・・と驚きましたが、ここはさらに奥地。
驚きを通りこして凄いって正直思いました。
しかしながら、ここはまだ県道沿い。
さらにさらにまだまだ奥地にも、きっと生活というものがあるんだろうなあ・・と思い深く感慨にふけりました。

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そしてこれはその門桁集落にあった、レールを利用した半鐘。

門桁にも林鉄の交換施設などがあったようですが、全て川を挟んで集落の反対側にあったようです。
当時は対岸に渡る橋などがかけられていたのでしょうね。

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そしてここ。

グーグルマップで記された、森の中の道=林鉄の跡はここに出てきます。

えっ、この細い道が軌道跡?・・・・
ということで、実際には(gerakumaは車窓から眺めたのみで行きませんでしたが)、ここを上ると軌道敷きに出るそうで、軌道敷きはこの先で、恐らく拡張工事された県道に飲みこまれて消滅しているとのことでした。

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そして、とうとう終点がやってきました。

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春野町から28km

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県境の街、水窪まで左折して18Km

ここから先、直進は国有林であり、専用林道で一般車侵入禁止。
軌道跡はこの先まだまだ続きますが、gerakumaの気多森林鉄道の痕跡を辿る旅はこれにて終了です。

ちなみに、気になっていて、ここまでは辿りつきたいと思っていた場所に、山住事業所というのがありました。
当時の写真はこちら→クリック!
ごらんのように、機関車を転回させるループ線があるなど、奥地側の基地としての役割をもった事業所のようでした。
いろいろ資料を調べますと、山住事業所のある場所は、ここからまだ先のようです。
グーグルマップでそれらしい場所を探してみましたが、現在も少し開けた場所がある・・ということでこちらじゃないかなあと予想しています。
航空写真で見た限りでは、林鉄施設に関する構造物はなに一つ残っていないように見えますが、どうなんでしょうね。


ということで、北遠の旅はまだまだ続きます。


追記

何度か(勝手に(^-^;)リンクさせて頂いた、気多森林鉄道の写真のページはこちらがトップページとなっています→クリック!
是非参照してみてください。



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